Jugoslovenska škola

私淑するものとして ヴァルダル川から トリグラウ山まで ユーゴスラヴィア プラーヴィ

ユーゴスラビア代表のゴールマン/スルプスキ・シノヴィ・スラブニフ: ラトコ-ミレ・スヴィラル セルビア ヴォイヴォディナ・ノヴィサド

ヴェリキ ウラディミール! Balerina s Čeličnim Šakama i Čovjek od Gume

 ヴラディミル・ベアラ、フラニョ・グラサー、ミロヴァン・ヤクシッチ、ミルティン・ショシキッチ、イリヤ・パンテリッチ、イヴァン・チュルコヴィッチ、 エンベル・マリッチ...世界が発見した簡潔な伝記に連なる卓出したユーゴスラビアのゴールマンたち。

 10月18日、あのスヴィラールの名を背中に背負うラトコ・スヴィラルの継承者ミレが、ゴールマンとして、18歳1か月22日で、UEFAチャンピオンズリーグの歴代最年少出場記録を塗り替えた、というニュースを 伝えなかった新聞はなかった。―ミレは、ヴォイヴォディナ・ノヴィサドユーゴスラビア代表で活躍した長髪を靡かせるセルビアの小さな町ツルベカの謹厳なドナウ・シュヴァーベン人ラトコ・スヴィラルの息子というセンテンスが、ここでは常に加えられる。 ラトコは、ヴォイヴォディナには、名望ある権威ヴヤディン・ボシュコヴの招待を受け移り、南アメリカ人トドル・ヴェセリノヴィッチの創り上げた、 サッカーの健啖家に喝采を浴びた、"チュパヴツィ"と呼ばれた、華々しく魅惑的なスタイルを身に着け人気を博した。

 偉大なゴールマンを輩出するユーゴスラビアで歴史に重要な足跡を残した人物にカテゴリされた父の馥郁たる一縷の香りをめぐる探訪の旅へ―血統が強調されるときには、常に虫眼鏡をかざされ重圧を受けながら―遂に踏み出す。

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ヴチッチ、セルビア進歩党女衒に拠るサッカー代表連盟、セルビア代表指揮官 /7番目のズヴェズディナ・ズヴェズダ 

サッカーの権力の糸を操っている独裁者アレクサンダル・ブチッチは、プクニ・ゾロを歌い、ライコ・ミティッチ、ドラゴスラフ・シェクララツ、ドラガン・ジャイッチ、ヴラディミル・ペトロビッチ "ピジョン"、ドラガン・ストイコビッチ"ピクシー"、1991欧州チャンピオンズカップ優勝世代のように舞い、容易にセルビア代表"鷲"をワールドカップへと高く飛ばす。

 大統領アレクサンダル・ブチッチはサッカーとファンに特別な注意を払い、最も原始的なポピュリズムをもって、政治的キャリアを構築し、 ミロシェヴィッチ、シェシェリ、ジンジッチ、コシュトニツァ、タディッチや他の閣僚と違い、フィールド、特にスタンドからの勢力を常に理解している。 ミロシェヴィッチの大セルビア主義の欲望と初のクロアチア自由選挙に勝利したトゥジマンとHDZの新政府に象徴される、 分裂、崩壊と戦争の話で避けることはできない、ユーゴスラビア内戦勃発の引き金となった、ディナモ・ザグレブツルヴェナ・ズヴェズダの政治的に重要な試合、マクシミールの血の日曜日 で、その当時、セルビア急進党ヴォイスラヴ・シェシェリの生徒だったのと同時に、世界最高峰のファン・グループのデリエのメンバーとして闘い、今もなお、ツルヴェナ・ズヴェズダの黒幕であり、狂信的なファンであるヴチッチは、 セルビア民兵組織タイガー部隊のボス、セルビア統一党、デリエのリーダーだった悪ジェリコ・ラジュナトヴィッチ-"アルカン"に倣い、イデオロギーナショナリズムを通じ、サッカーを隠匿し、病的なアブソリューティズムを興隆させる。

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新たなコルバラの戦い/ユーゴスラビア代表ネマニャ・マティッチ(セルビア王国代表) 

コルバラの基礎自治体ウブの村ヴレロに任地したタムナバからの兵士ネマニャ・マティッチNemanja Matićユーゴスラビア崩壊直前、2部マチュヴァ・シャバツでミロスラヴ・ジュキッチとともに活躍した ドラガン・マティッチを父親にもつ、セルビアが欲していなかったヴレロとオブレノヴァツで育った巨大な少年についての奇譚:衆愚や混乱状態の連合は、 偉人ニコラ・テスラやミルティン・ミランコビッチのように、異端として扱い、ツルヴェナ・ズヴェズダパルチザン・ベオグラードを追われ、 ウブに戻り、早くに国を去らなけらばならなかった。 だが、決して生まれ故郷は忘れてはいない、高潔、慧眼の士は華麗なイコノスタシを有するゴシック-ロマネスク建築の教会、寺院、塔、学校、小売店等の再建を援助し、スポーツセンターを建設、 ドラガン・ジャイッチが最初のステップとして名を刻んだウブのクラブFKイェディンストヴォを運営し、スタジアムの改築などの投資も行う。

  イギリスの秘密情報部エムアイシックス(MI6) は、今もなお、007のジェームズ・ボンドのモデルとなった ヴォイヴォディナの南バチュカに位置する町ティテル(セルビア)に生まれ、ドゥブロヴニク(クロアチアアドリア海の真珠)で育った、 ドイツのアプヴェーア、イギリスのMI6、ユーゴスラビア王国亡命政権の三重スパイで、 第二次世界大戦とスパイの世界の伝説となったドゥシュコ・ポポフの信奉者に接触し、 セルビアの茫洋たる牧歌的な村―教会、学校、雄牛が付近を逍遥する田園のサッカー場であふれるウバから数十キロのヴレロ―に送り込み 、イギリス人が胸を躍らせるヴレロが生んだ神秘を懸命に探し続ける。

  将軍ジヴォイン・ミシッチの指揮下のもと、第一次世界大戦コルバラの戦いで、塹壕にいる兵士の如く、 オーストリア・ハンガリー帝国軍との手段を変えた血なまぐさい再戦、ピッチ上で繰り広げる政治対決に向け 、ヴレロの兵士は武器の銃剣をボールに変え、攻撃を指令するトランペットの音を期待して、ワールドカップへの最後の襲撃を開始する。

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泥濘する政治のフィールド サッカー Dardanët コソボ セルビア ユーゴスラビア/カラジッチとヴォクリ、ダチッチとタチ、コンスタンティウス・クロルス 、アティフェテ・ヤヒヤガ、 ハシム・サチ、イブラヒム・ルゴヴァ、マルッティ・アハティサーリ

ただ一人、ここ何十年もの間、キャリアのなかでも、最も困難な闘いに敢然と挑み、逢着する危険な政治ゲームに勝利し、至高のゴールを決めたコソボの伝説ファディル・ボクリ ―ポドゥイェヴォ出身、KFラピ、FKプリシュティナパルティザンベオグラード民族主義や政治的緊張が横溢する中で、ユーゴスラビア代表に唯一選ばれた偉大なアルバニア人選手、コスモポリタン偉大なイビチャ・オシムの学窓、コソボサッカー連盟会長、歴史が優れた選手、何千もの人のアイドルとして認識するとき、他の素晴らしい卓越した妙技―外交家、交渉人、該博、豪傑―も考えるようになった。

 政治家が国際連合ユネスコに加盟することができずに国際的承認に苦心する中、 世界で最も強力なスポーツ組織―55番目の欧州サッカー連盟UEFA)、210番目の国際サッカー連盟FIFA)の正式加盟国になる、コソボへの流出の恐れのもとに暮らすスイス代表も大勢がスイスの国旗のもとでの戦いに終わりを告げることに気づいていたので、反対票を投じ最後まで加盟に反対―加盟の承認を実現させ、 セルビアサッカー連盟の継子の手から抜け出し、何十年の孤立の後、サッカーの完全独立を成し遂げる。 そして、汚職が蔓延し、不安定な国情を招き、人口流失が続くコソボ大統領ハシム・サチ―初代首相、外相、コソボ民主党(PDK)の党首、コソボ解放軍の指導者―の外交政策を論う。

 彼の奮励のおかげで、コソボでの至る所で、またはディアスポラで、子供、若者が新たな国家の代表チームを夢見ることが可能となった。 才能は無益なリーグで終わらない。 ボクリは寓話。 スヴェカル村から頂点へ。 才能はお金では買えないから、無知は堕落で隠すことはできない。 その点、全ては平等。これはすべてファディル・ボクリによって可能となった。

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クロアチア代表と大統領フラニョ・トゥジマン サッカーと民族主義の澎湃 麗しき我らがふるさと/スティエパン・ボベク 、ズラトコ・チャイコフスキー、ブランコ・ゼベツ、ベルナルド・ブカス、ヴラディミル・ベアラ、ブルノ・ベリン、イヴィツァ・ホルヴァト、ドラジャン・イェルコヴィッチ、ヨシップ・スコブラル、ダヴォル・シュケル、ズボニミール・ボバン 、ロベルト・プロシネチキ 、アレン・ボクシッチからルカ・モドリッチ、イヴァン・ラキティッチ、マテオ・コヴァチッチ、マリオ・マンジュキッチ、イヴァン・ペリシッチ

他のユーゴスラビアの国々と比べて、 クロアチアは、独立後1990年代、大統領自身がFranjo Tuđmanサッカーの熱烈な愛好家―フラニョ・トゥジマン―によって統治されたのが特徴的である。

 クロアチアのサッカーの強い政治性を理解する決定的で些細な要素―まず第一に、クロアチアでは、 サッカーは様々な戦略で権力を有するトゥジマン率いる極右民族主義政党クロアチア民主同盟(HDZ)の直接的な支配下のもと制御されていた。 この場合、クロアチア民主同盟の信頼される党員の任命と同様に、代表連盟やオリンピック委員会から新聞編集局ら全スポーツ分野の密接な制御のもと特に反映されていた。 第二に、大統領トゥジマンと彼の顧問の手中にあった強い権力の私物化、それ故に、トゥジマンは重要な政治的事柄と考えたサッカーに直接的に関わっていた。 ファンとしても、代表チームと共に、特に彼が愛したクラブ、"ディナモ・ザグレブ" のスタンドに来賓することを好み、 チーム名をディナモという共産主義を含意する言葉を排除するために、 ハシュク・グラジャンスキーへ、クロアチアザグレブへと次々に改名をさせた。 その結果、そのチームの改名は伝統ある歴史と名前を剥奪したために、 ディナモ・ザグレブのサポーターで、 欧州でも悪名高いフーリガン、バッド・ブルー・ボーイズと暴力的な衝突を繰り返した。

 クロアチア民族の父のイメージを刻印するスポーツ

 クロアチア独立直前、正当な抜け道を見つけ出し、 トゥジマンによる"クロアチア選抜" 対アメリカ代表 のクロアチア最初の国際試合、国家間の試合 ― UEFA U-21欧州選手権の決勝にユーゴスラビア代表の一員として 勝ち進んだズボニミール・ボバンダヴォル・シュケルアレン・ボクシッチロベルト・プロシネチキ、ロベルト・ヤルニらの若手は不参加―は、 トゥジマン政権の外交上の大きな成功となり、民主主義の世界でクロアチアの国際的承認を示す消すことができない大きな警笛となった。

 ズボニミール・ボバンクロアチア代表の主将、真のリーダー、狂信的な愛国主義者、今は国際サッカー連盟FIFAの重鎮となる―とミロスラフ・ブラジェヴィッチ―クロアチア民主同盟の党員、交誼を深めた親密な友人、風変りで優秀な監督― のトゥジマンの知遇を得た二人は、クロアチア大統領の天性の指導者の才能を称揚し、彼らは常に新しい国家の代表チームの方途について語り合った。

 トゥジマン中心に作られるこの国家の父のイメージは、サッカーにとどまらない。 サッカーでイメージを構築し、 クロアチアのより良い運命を託すカリスマ的な政治指導者のイメージをも、次第に作っていった。

 今日の政治的エリートは、トゥジマンがかつて行った進歩的で挑発的な方法で、彼らのイデオロギー的なプロモーションとして、 もはやこのスポーツを利用しない。 しかし、このスポーツの社会的な分野で、政治的な性質は残ったままである。特に代表チームでは。そして、今もなおトゥジマンの遺産は生き続いている。

Lijepa naša domovino 炎 Vatreni

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淵源/ 政治家とサッカー Tole Lopove! セルビア パルチザン・ベオグラード ツルヴェナ・ズヴェズダ

政柄を握るトミスラヴ・ニコリッチがアレクサンダル・ヴチッチに。

 イビツァ・ダチッチのセルビア社会党がアレクサンダル・ヴチッチのセルビア進歩党に。パルチザン・ベオグラードツルヴェナ・ズヴェズダに。

 セルビアでは、サッカーは政争の道具であり政府の支局。 ヨハネの黙示録の四騎士―アレクサンダル・ヴチッチ 、スラヴィシャ・コケザ、ズヴェズダン・テルジッチ、スラヴォリュブ・ムスリン― が再び駆る。

 政治家による策謀、不正な資金の流れ、巨大な負債、犯罪、疑わしい結果、スタジアムでの暴動、空席、無意味な競技方法、クラブリーダーの絶え間ない言論戦、 早過ぎる才能の売買―最新は、崩壊前のユーゴスラビア代表の一員として、1990年マレーシアでの世界選手権で銀メダルを獲得したバスケットボール選手ダニエル・イリッチの息子、ニシュ出身で、ピクシー・ストイコビッチに憧れる、ルカとイヴァンのイリッチ兄弟、弟のイヴァン・イリッチは16歳15日のツルヴェナ・ズヴェズダの歴代最年少出場記録を更新―、エージェントの過度の干渉などの悪弊と共にヴチッチの政治的ドゥミ・モンドがサッカーを侵害する。

 

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黒い山モンテネグロ代表 ハラブリ・ソコリ ユーゴスラビア/ペータル2世ペトロヴィッチ-ニェゴシュ、アレクサンダル1世、聖サヴァ、ステファン・ネマニャ、ミロヴァン・ジラス、ニコラ1世、エレナ・デル・モンテネグロ 、ペコ・ダプチェヴィッチ、エレナ・ペトロヴナ、ミリツァ・ニコラエヴナ、プレドラグ・ミヤトヴィッチ、デヤン・サビチェヴィッチ

ユーゴスラヴィア浩瀚な歴史において、第1回目のFIFAワールドカップでのブラジル戦の活躍により、エル・グランデ・ミロヴァンの異名が奉られ、最初のワールドカップで世界のベストイレブンに選出された主将のミルティン・イヴコヴィッチと共に大活躍したミロヴァン・ヤクシッチ以降、定期的にテントウムシと共に偉大なゲームの大家―おくらく、殆どの人は、ブドゥチノストでもスティエスカでもなく、ポドゴリツァの小さなムラドストが、偉大な黒い山の名手―プレドラグ・ミヤトヴィッチ、デヤン・サビチェヴィッチ、レフィク・シャバナジョヴィッチ、近くはステヴァン・ヨヴェティッチなど―を生んだことを、知らない―を授ける人口67万人の新しい国家モンテネグロ

 2006年ワールドアップでは合同国家セルビア・モンテネグロとして欧州予選でスペインを抑え、10試合1失点という予選に参加した51か国で最高の守備を構築して、記録を残し、目覚ましい成績で勝ち上がったにもかかわらず、まさにトーナメント開幕直前6月に、ミロ・ジュカノヴィッチ政権によるセルビア共和国との国家連合の解消と独立の国民投票によって、独立が承認され、セルビアセルビア・モンテネグロ代表の後継国家チームとなり、袂を分かち、2つの独立した国家の共同芸術作品を、再び政治によって、崩壊された勇敢な鷹は、多民族国家ユーゴスラビアの青の衣鉢を受け継ぎ、ミルコ・ヴチニッチステヴァン・ヨヴェティッチ、ステファン・サヴィッチなどの後に、アダム・マルシッチ、マルコ・ヤンコヴィッチ、ネボイシャ・コソヴィッチ、セアド・ハクシャバノヴィッチ―独立後、史上三番目の最年少デヴュー、ラザル・ツァレヴィッチ―父親が会長を務めるOFKグルバリで才腕をふるい、スペインのバルセロナが契約を勝ち取る―、 アリヤネット・アロ・ムリッチなどを羽に加えて鬱勃たる闘志を抱き大きく翔る。

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