Jugoslovenska škola

私淑するものとして ヴァルダル川から トリグラウ山まで ユーゴスラヴィア プラーヴィ

クロアチア人ディアスポラ

ユーゴスラヴィアは、何十年、何百年の歴史を通して、不運にも、戦争や政治情勢のため、生き残るために、もしくわ、ここでは得ることが難しい専門知識と妙技への認識や野望を達成するために、例えば、クロアチアは、ヨーロッパに中央アジアや中国を紹介した驚異の書、東方見聞録で有名な貿易商人であり旅行家のマルコ・ポーロノーベル化学賞を受賞した化学者のウラジミール・プレローグ、レオポルト・ルジチカ、天才発明家のニコラ・テスラ、 アメリカの至高のバスケットボール選手、最初のNBAの選手、その圧倒的な力のためにNBAのルールが変更させた、ミスター・バスケットボールの異名を持ち、バスケットボール殿堂入りを果たしたジョージ・マイカン、サッカーでも、ディナモ・ザグレブの英雄で、まだユーゴスラビア連邦の一部だったにもかかわらず、クロアチア独立の予鈴を鳴らすトゥジマンTuđman政権発足とともに、民族主義の激化と民族間の緊張の中、編成したクロアチア代表の初代監督だったドラジャン・イェルコヴィッチと並び、1962年のFIFAワールドカップ得点王となり、1967年にはバロンドールを受賞したフローリアン・アルベルト、史上最高の選手の一人であるディエゴ・マラドーナの母方の曾祖父で、ダルマチア地方のコルチュラ島出身のマテオ・カリロリッチ―彼の娘、マラドーナの祖母のサルバドーラ・カリロリッチは、マラドーナの母親を生み、ダルマチア地方に由来して、ダルマ・サルバドーラ・フランコと名付けた、アルゼンチンの歴史で最高の選手の一人、チェ・ゲバラ、フィト・パエス、セサル・ルイス・メノッティ、アンヘル・トゥリオ・ゾフ、マルセロ・ビエルサリオネル・メッシなどを生んだ無尽蔵の改革の源泉の町ロサリオの伝説トマス"エル・トリンチェ"カルロヴィッチ、そして、新たにアメリカ代表の最年少出場や最年少得点など次々と記録を更新し、アメリカの輿望を一身に担うクリスチャン・マテ・プリシッチなどを持つ、現在でも、白人社会を駆け回る国である。

 文化、商売、スポーツ、発明に秀でたディアスポラは、野心を叶え、名声と名誉を得て、彼らの国で国家のシンボルになる。

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マケドニア代表・サッカーの紐帯/フィリッポス2世、アレクサンドロス大王、ユスティニアヌス1世、ゴツェ・デルチェフ、ヴォイヴォダ・バブンスキー、マザー・テレサ、トシェ・プロエスキからゲオルゲ・ハジ、ダルコ・パンチェフ

セルビア主義者のスローガンになった、スロボダン・ミロシェヴィッチ独裁政権下で使われた「Srbija do Tokijaスルビヤ・ド・トキヤ/東京までセルビア 」を生んだ契機とされる、 ユーゴスラビア崩壊とともに、ツルヴェナ・ズヴェズダが極めた隆盛(UEFAチャンピオンズリーグを制して欧州王者になったのちに、東京でのインターコンチネンタルカップを制して世界一になる)は、 ユーゴスラビアを代表する偉大なマケドニア人ストライカー、ユーゴスラビア・リーグでは、マケドニアのクラブとして、最初で最後のタイトルをFKヴァルダルにもたらし、ヴァルダルとツルヴェナ・ズヴェズダで通算243試合168得点を記録、 ヨーロッパ・ゴールデンブーツを受賞したダルコ・パンチェフによって支えられたが、そのパンチェフを輩出したマケドニアが、独立後、雌伏の時を経て、U-21欧州選手権予選で、 フランスを抑えて、首位で突破した新たな世代とともに、新しい戦端を開く。

 内部マケドニア革命組織に、標的にされながら、バルカン戦争と第一次世界大戦で、勇敢に闘ったチェトニックの最初の指導者で、ドラジャ・ミハイロヴィッチの有名なチェトニックの凱歌のもととなるものを作ったとされるヨヴァン・ストイコヴィッチ・バブンスキを曾祖父に、キャリアの晩年には、ガンバ大阪に所属し、日本でも時を過ごしたボバン・バブンスキー父親に持ち、弁舌の才と高い教養を備え「哲学者」と称されるダヴィド・バブンスキー、ラボトニツキで将来を嘱望されるエリフ・エルマス、ダルコ・ヴェルコフスキ、エニス・バルディなどの成功したU-21の8人と クロアチアのHNLに所属するインテル・ザプレシッチでの邂逅が、資質を開花させ、その左足で、イタリアでも、ゴールを量産するイリヤ・ネストロフスキなどの若さと経験を組み合わせ、不死鳥の如く、アレクサンドロス大王の精神を再び蘇らせる。Давид Бабунски @SKYSELFダビド・バブンスキ Babunski ヨヴァン・バブンスキ ー

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セルビアコソボサッカーの停頓 /大アルバニアと戦争 黄金の鷲の子 ピクシー ドラガン・ストイコビッチ 

バルカンにとって今年の最も重要な政治的決定の一つでもあるコソボUEFA加盟が、規定に違反するとして、ワールドカップ予選などのコンペティションから締め出したいセルビアの要求の下、再びスイスのローザンヌの国際スポーツ仲裁裁判所で審議に着手する。
 この決定が、バルカンの安定を危険にさらす。

ローザンヌでのセルビアの成功が、とりわけ、アメリカ、イギリス、ドイツなどのコソボを国家承認し、人類で最も人気のあるスポーツを利用して、アイデンティティーを高める策略に弄する剛毅な援助者へ、彼らのバルカン政策に苦い敗北を与える。

 アハティサーリ案に反対し、国連の暫定統治を禁じ、双頭の黒鷲の旗のもとで、アルバニアと協同したい民族主義野党アルビン・クルティが統率する政党ヴェテヴェンドシェは、 コソボは国際舞台で独自のチームを組織しないで、アルバニアのために闘うべきだと声高に叫ぶ中、 何年もの間、コソボ代表を国際舞台で活躍させるという重要な政治的目標をもつ政府と欧米列強も対抗する。 この新たな憎悪と狂気が、再びこの地域を戦争の深淵に連れ戻す。

 今月、対照的なスタートを切ったワールドカップ予選が、再開する。

 コソボは、コソボ解放軍の残党が潜伏し、支配領土拡大を目指して、テロリストの温床となっているプレシェヴォ渓谷からの出身者を初めて抜擢する。伝説的なドラガン・ストイコヴィッチ・ピクシーが決して屈しなかった巨大な政治の圧力や汚職に耐えられず、混迷を極めるセルビアは、U-20 ワールドカップを制して世界一になったマクシモヴィッチ、ジヴコヴィッチ、ライコヴィッチ、ガチノヴィッチ、グルイッチ、ヴェリコヴィッチ、ミリンコヴィッチ=サヴィッチ兄弟などのニュージーランド人が徐々に支配し、 ミヤトヴィッチシュケル、ボバン、プロシネチキ、ブルノヴィッチ、ヤルニなどのチリ人の後を追う。

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多民族国家最後のPK

今年、オランダのハーグでの旧ユーゴスラヴィア国際戦犯法廷で禁錮40年の有罪判決を言い渡されたセルビア人勢力指導者ラドヴァン・カラジッチが、若き日にFKサラエヴォで心理学者として従事していたけれども、その時、後の悪辣な政治家と共に時間を過ごした当時のプラーヴィの主将ファルク・ハジベギッチは、 自惚れなしに、アルゼンチン戦のペナルティーキックを成功させていれば、戦争を遅らせる事ができたと回顧した。これは、戦争が政治家の決断によってなされた証拠、または、文化、宗教、経済危機の問題でなく、政治決断の問題であり、 今日、何が起こっているかを見渡すとき、この戦争から教訓を何も学んではいない、 歴史から何も学ばなければ、歴史は常に繰り返すと警戒することも忘れなかった。
 まだまだ狂信的な民族主義者の思惑が渦巻く多民族のズマイェヴィを先導する、サラエヴォ包囲戦の中で砲撃や狙撃兵に狙われる環境で育った、ボシュニャック人のエディン・ジェコが、代表で通算49得点目を記録し、ダヴォル・シュケル、スティエパン・ボベク、ミラン・ガリッチなどを抜き、欧州の歴代最多得点者上位10人に連なるまで、残り6得点に迫り、62得点のディアスポラであるズラタン・イブラヒモヴィッチを追い越し、上位5人の記録を見越す。 民族共存で闘うズマイェヴィは、カラジッチの政策を打ち負かし、もうひとつの大きい判決を言い渡す。

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コソボ代表 /イブラヒム・ルゴヴァの所産

泥沼化した民族紛争から旧ユーゴ解体・消滅後も、動乱の時代を生き、忍従し、国際社会に認められてないコソヴォが、遂にUEFAFIFAの加盟国として認められ、大きな1歩を踏み出し、スタジアムに政治を持ち込む。
  コソヴォにとって、歴史的最初の国際試合の対戦相手であり、シェフキ・クチが先駆をなしたフィンランド代表で地位を築き、紛争で親族の多くを亡くしたペルパリム・ヘテマイは、特殊な状況に憂悶する中、祖国とは戦わないことを選択。ダルダナトは、他の6カ国の代表チームに選ばれている俊秀な24人のシプタルの帰還を待っている。 しかし、筋道の立たないFIFAは、その中でも祖国のドレスを纏って戦いたいサラエボ出身のヴラディミル・ペトコヴィッチが牽引するスイス代表のシャチリ、ジャカ、ベーラミ、タラシャイの4人のシプタルを認めない。 そこで、ユーゴスラヴィア人民軍の徴兵を逃れるため姓を変えた過去を持つブニャクと片腕のトルド・グリップは、16歳のラビノット・カバシなどを加え、明日のために尽くす。 独立への隘路を駆けるヴォクリとダルダニア人に成功と幸運を。

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