Jugoslovenska škola

私淑するものとして “Srbija do Tokija” 東京までセルビア "Od Vardara pa do Triglava" ヴァルダル川からトリグラウ山まで ユーゴスラヴィア プラーヴィ

もう一人の青年ボスニア/セルビア代表黄金の"鷲"ミヤト・ガチノヴィッチ

世界の血まみれの揺籃地、凄惨な歴史を有し、多文化都市サラエボで、第一次世界大戦の勃発の起因となったハプスブルク帝国からのボスニア・ヘルツェゴヴィナの解放と南スラブの統一を目指す「青年ボスニア」の革命運動による暗殺者ガヴリロ・プリンツィプが放った一発の銃弾によって―オーストリアハンガリーハプスブルク)帝国帝位継承者フランツ・フェルディナント大公と妻ゾフィーが暗殺されたサラエボ事件から100年余り、「青年ボスニア(ムラダ・ボスナMlada Bosna)」の理論的指導者であり、 革命組織の創立者、大セルビアの実現を目指す青年ボスニアの背後組織であるセルビア王国の軍人アスピことドラグティン・ディミトリエヴィッチを指導者とする秘密結社「統一か死か(通称黒手組)」の重要メンバー であったヴラディミール・ガチノビッチの子孫が、U-19欧州選手権U-20ワールドカップで優勝を勝ち取ったのちに、遂にワールドカップ2018欧州予選を戦うセルビアフル代表に招集され、 初ゴールと勝利で最高のデビュー戦を飾り、気勢をあげる。

 世界の歴史を動かし、名を刻んだ祖先、青年ボスニアのリーダーのように、スルプスカ共和国に属するヘルツェゴヴィナ南部の町トレビニェ出身の、数々の名選手を輩出したヴォイヴォディナ・ノヴィサドのFC"ヴヤディン・ボシュコヴ"で陶冶された後継者は、再び民族の解放と自由の尊厳のために闘う。

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端倪すべからざる人物 新たなスロボダン・ペネジッチ・クルツン ミロシュ・オビリッチ ガヴリロ・プリンツィプ アルカン スロボダン・ミロシェヴィッチ / ツルヴェナ・ズヴェズダ ヴチッチ首相、テルジッチ、コケザ、チョヴィッチ vs パルティザン 1:1 34アレクサンダル・ヴチッチ - 87ウロシュ・ジュルジェヴィッチ

政治家、極右の民族主義者、武装マフィア、戦場帰りの犯罪者たちが、サッカーを壊し、猖獗を極めるセルビア共和国
 ツルヴェナ・ズヴェズダのウルトラス・リーダー、ズヴェズダを勢力基盤にして、サポーターを兵士として採用し、ユーゴ戦争を戦った悪名高いセルビア民兵組織アルカンの虎のリーダー、兵士の間でセルビアの英雄の象徴となり、その人気を政界に入るために利用し、当時衰退していたシェシェリセルビア急進党の代わりとして、極右政党セルビア統一党を結成した政治家、オスマン帝国の侵攻でのコソボの戦いで、ムラト1世を暗殺して中世セルビア口承文芸の英雄と語り伝えられ、セルビアの大叙事詩の重要人物になったミロス・オビリッチにちなんで付けられた、1924年に設立し長い歴史を持ち、当時2部に相当したクラブFKオビリッチを買収し、その悪名高い名声と軍規を用いて、魔法のチームに変えたクラブ社長、世界で最も強力な民兵指揮官、マフィアのボスと多くの顔を持ち、サッカーに最も愛情と活力を注いだジェリコ・ラジュナトヴィッチ、通称アルカンと彼の黒い伝説は今も生き続ける。

 大統領選挙ではツルヴェナ・ズヴェズダの支持を多く獲得できれば、票を得えて生きることができるため、謀議を凝し、籠絡する首相アレクサンダル・ブチッチ、サッカー協会現会長スラヴィシャ・コケザ、 ベオグラード市長、副首相やコソボ調整センターなどを歴任した政治家、現在バスケットボールのKKツルヴェナ・ズヴェズダ会長、サッカー部門で取締役も務めるネボイシャ・チョヴィッチ、OFKベオグラード会長、2005年から2008年までサッカー協会会長、アルファとオメガ現在ツルヴェナ・ズヴェズダ会長のズヴェズダン・テルジッチ―今月153戦目ツルヴェナ・ズヴェズダVSパルチザンの“ヴィエチニ・デルビー”ベオグラード・ダービーでは、ミロラド・マジッチを引っ込め、ブチッチ首相率いるセルビア進歩党と組む疑惑のマヨ・ヴヨヴィッチを主審に送り込み、第25節ヴォイヴォディナ・ノヴィサド戦を不正に操作した―ドイツ、租税回避地のマルタとキプロスを拠点に、大物代理人ピニ・ザハビと策動して、独自のビジネススキームを完成させ、弁護士、代理人、政治家、サッカー役員、オフショアカンパニーなどと強力なネットワークを創り上げ、そうして欧州で巨大な影響力を持つ一種のサッカーの寡頭資本家となったテトボ出身マケドニアアルバニア系アブドゥルガファル・ラマダニことファリ・ラマダーニ―今度はゼムネルの最新作ニコラ・ミレンコヴィッチとドゥシャン・ヴラホヴィッチを奪う、ラマダニに仕えるテルジッチの義理兄弟ニコラ・ダミヤナツなどの怪人は、現代でも最も妄信されている宗教のひとつサッカーを権力に利用して破壊する。

 

 

 

 

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コンスタンティヌス大帝、ドラガン・ストイコヴィッチ ピクシー、イバン・ミリュコビッチ、ステバン・シンジェリッチ、ステヴァン・スレマツ、デヤン・ペトコヴィッチ /蘊奥、ニシュの先賢、セルビア代表黄金の"鷲"

逸話は、ニーシュで始まり、当時Dragan Stojković Piksiユーゴスラビアリーグにおいて、ラドニチュキ・ニーシュの少年は、ハイデュク・ヴェリコ戦16歳でプロデビュー、ディナモ・ザグレブ戦17歳で初ゴール、ユーゴスラビア代表にザグレブでのフランス代表戦18歳で代表デビュー、1945年に創設し、ユーゴスラビア崩壊によって、リーグが瓦解するまでに、最多19個のタイトル、ヨーロッパ・カップ、インターコンチネンタルカップを勝ち取っているユーゴスラビア最大のクラブであるツルヴェナ・ズヴェズダでは、数多くの栄光をもたらし、クラブ最大の名誉と称号であるズヴェズディナ・ズヴェズダをミティッチ、シェクララッツ、ジャイッチ、ペトロヴィッチに次ぎ第5星人に24歳で受賞、政治的圧力と闘った最後のユーゴスラビア代表のイタリアワールドカップでの光輝(FIFA World Cup All-Star Team選出)、歴史的なズヴェズダとのチャンピオンズリーグ決勝バーリの聖ニコラウスの夜、バロンドール通算3度のノミネート、90年代には旧ユーゴ崩壊、スロベニアクロアチアの独立、ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争、国連安全保障理事会によるスポーツを含む制裁で国際大会からの追放、ユーゴへのNATOによる空爆と、常に政治、戦争、民族、国家に翻弄され暗涙に咽び、激動の時代を生きた、パシ・ポリャーネからの天才、ゲームの大家、夢想家、マジシャン、イリュージョニスト、ドラゴスラヴ・シェクララッツ・シェキの練達した技を昇華した動きを幾つかレパートリーに、強烈なリーダーシップスキルを備えたユーゴスラビア最後の10番、伝説的英雄ドラガン・ストイコビッチ・ピクシー。

 ストイコヴィッチ・ピクシーを生み、新たなピクシーの出現を半世紀近く待たせようと考えていたセルビア共和国南部の都市ニーシュは、再び俊秀を生み、甲冑も武器も持たない豪傑な戦士アンドリヤ・ジヴコヴィッチ・ジレを欣然と送り込む。戦争に敗北し、名誉や自尊心を失い、屈辱を受け、意識を失った、虚弱で不規則な秩序、乱世の時代を生き抜いた1994、1995、1996、1997年生まれの世代の―U-19欧州選手権、U-20 ワールドカップでチャンピオンになり欧州と世界を制し名を刻む―先鋒として、愛と憎悪をフィールドに持ち込み、セルビアの白鷲となり戦う。ベオグラード、ヴォイヴォディナ、シュマディヤ、クライナ、スルプスカ、サンジャク、モンテネグロコソボなどから蝟集した群衆に安寧を運ぶためにDragan Stojković Piksi

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パルティザン部隊による濫觴 /パルティザン・ベオグラードとドラガン・マンツェ

伝統と権威あるセルビアパルチザン・ベオグラード民族主義政党クロアチア民主同盟(HDZ)を結成し、初代クロアチア大統領になり、サッカーを最大限に政治利用した、若き日のフラニョ・トゥジマンが、怜悧な革命家で、のちに多民族国家ユーゴスラビアの再統一を果たした、ユーゴスラビア社会主義連邦共和国初代大統領ヨシプ・ブロズ・チトーを最高司令官とするユーゴスラビア人民解放軍およびパルチザン部隊で活躍した際、会長を務め骨子を決めたという隅に追いやりたい、または、最後のユーゴスラビア代表監督イビツァ・オシムが、政治の毒、不穏な民族主義、政治的な扇動、民族間の憎悪と敢然と闘いながら、兼務した歴史などを持つ―そのパルティザンのサポーター、グロバリGrobariにとって、31年が経った今日でも、ドラガン・マンツェの美しき記憶は決して色褪せることはない。

 それどころか、逐年その伝説、巨大な意志、献身、深甚な愛情や感情、特別な感覚―わずか22歳で、悲劇が訪れた悲しき日まで、既に279試合174得点を上げ、グロバリにとって、スティエパン・ボベク、ミラン・ガリッチ、ミロシュ・ミルティノヴィッチ、ズラトコ・チャイコフスキー、ブランコ・ゼベツ、モムチロ・ヴコティッチ、ハフルディン・ユスフィ、ミルティン・ショシキッチ、ベリボル・バソビッチ、イヴァン・チュルコヴィッチ、ブラゴイェ・パウノヴィッチ、ペタール・ボロタ、プレドラグ・ミヤトヴィッチなど数々の巨匠の中でも最も敬愛される選手となる―は、次の世代に広がり続け、スタディオン・JNA近くの路傍や南側のスタンドでは、今でもその名前を歌い踊り夢路を辿る。

 パルティザンの伝説が生まれた街ゼムンに、再び運命の女神が未来を約束し生まれ落としたドゥシャン・ヴラホヴィッチ。

 旧ユーゴの人々は、グロバリが永久欠番にするように懇願する背番号9を、16歳24日の歴代最年少で背負い、ツルノ・ベリの将来を双肩に担う姿に、伝説的人物ドラガン・マンツェを重ね合せる。

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クロアチア人ディアスポラ

ユーゴスラヴィアは、何十年、何百年の歴史を通して、不運にも、戦争や政治情勢のため、生き残るために、もしくわ、ここでは得ることが難しい専門知識と妙技への認識や野望を達成するために、例えば、クロアチアは、ヨーロッパに中央アジアや中国を紹介した驚異の書、東方見聞録で有名な貿易商人であり旅行家のマルコ・ポーロノーベル化学賞を受賞した化学者のウラジミール・プレローグ、レオポルト・ルジチカ、天才発明家のニコラ・テスラアメリカの至高のバスケットボール選手、最初のNBAの選手、その圧倒的な力のためにNBAのルールが変更させた、ミスター・バスケットボールの異名を持ち、バスケットボール殿堂入りを果たしたジョージ・マイカン、サッカーでも、ディナモ・ザグレブの英雄で、まだユーゴスラビア連邦の一部だったにもかかわらず、クロアチア独立の予鈴を鳴らすトゥジマンTuđman政権発足とともに、民族主義の激化と民族間の緊張の中、編成したクロアチア代表の初代監督だったドラジャン・イェルコヴィッチと並び、1962年のFIFAワールドカップ得点王となり、1967年にはバロンドールを受賞したフローリアン・アルベルト、史上最高の選手の一人であるディエゴ・マラドーナの母方の曾祖父で、ダルマチア地方のコルチュラ島出身のマテオ・カリオリッチ―彼の娘、マラドーナの祖母のサルバドーラ・カリオリッチは、マラドーナの母親を生み、ダルマチア地方に由来して、ダルマ・サルバドーラ・フランコと名付けた、アルゼンチンの歴史で最高の選手の一人、チェ・ゲバラ、フィト・パエス、セサル・ルイス・メノッティ、アンヘル・トゥリオ・ゾフ、マルセロ・ビエルサリオネル・メッシなどを生んだ無尽蔵の改革の源泉の町ロサリオの伝説トマス"エル・トリンチェ"カルロヴィッチ、そして、新たにアメリカ代表の最年少出場や最年少得点など次々と記録を更新し、アメリカの輿望を一身に担うクリスチャン・マテ・プリシッチなどを持つ、現在でも、白人社会を駆け回る国である。

 文化、商売、スポーツ、発明に秀でたディアスポラは、野心を叶え、名声と名誉を得て、彼らの国で国家のシンボルになる。

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マケドニア代表・サッカーの紐帯/フィリッポス2世、アレクサンドロス大王、ユスティニアヌス1世、ゴツェ・デルチェフ、ヴォイヴォダ・バブンスキー、マザー・テレサ、トシェ・プロエスキからゲオルゲ・ハジ、ダルコ・パンチェフ

セルビア主義者のスローガンになった、スロボダン・ミロシェヴィッチ独裁政権下で使われた「Srbija do Tokijaスルビヤ・ド・トキヤ/東京までセルビア 」を生んだ契機とされる、 ユーゴスラビア崩壊とともに、ツルヴェナ・ズヴェズダが極めた隆盛(UEFAチャンピオンズリーグを制して欧州王者になったのちに、東京でのインターコンチネンタルカップを制して世界一になる)は、 ユーゴスラビアを代表する偉大なマケドニア人ストライカー、ユーゴスラビア・リーグでは、マケドニアのクラブとして、最初で最後のタイトルをFKヴァルダルにもたらし、ヴァルダルとツルヴェナ・ズヴェズダで通算243試合168得点を記録、 ヨーロッパ・ゴールデンブーツを受賞したダルコ・パンチェフによって支えられたが、そのパンチェフを輩出したマケドニアが、独立後、雌伏の時を経て、U-21欧州選手権予選で、 フランスを抑えて、首位で突破した新たな世代とともに、新しい戦端を開く。

 内部マケドニア革命組織に、標的にされながら、バルカン戦争と第一次世界大戦で、勇敢に闘ったチェトニックの最初の指導者で、ドラジャ・ミハイロヴィッチの有名なチェトニックの凱歌のもととなるものを作ったとされるヨヴァン・ストイコヴィッチ・バブンスキを曾祖父に、キャリアの晩年には、ガンバ大阪に所属し、日本でも時を過ごしたボバン・バブンスキーを父親に持ち、弁舌の才と高い教養を備え「哲学者」と称されるダヴィド・バブンスキー、ラボトニツキで将来を嘱望されるエリフ・エルマス、ダルコ・ヴェルコフスキ、エニス・バルディなどの成功したU-21の8人と クロアチアのHNLに所属するインテル・ザプレシッチでの邂逅が、資質を開花させ、その左足で、イタリアでも、ゴールを量産するイリヤ・ネストロフスキなどの若さと経験を組み合わせ、不死鳥の如く、アレクサンドロス大王の精神を再び蘇らせる。Давид Бабунски @SKYSELFダビド・バブンスキ Babunski ヨヴァン・バブンスキ ー

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セルビアコソボサッカーの停頓 /大アルバニアと戦争 黄金の鷲の子 ピクシー ドラガン・ストイコビッチ 

バルカンにとって今年の最も重要な政治的決定の一つでもあるコソボUEFA加盟が、規定に違反するとして、ワールドカップ予選などのコンペティションから締め出したいセルビアの要求の下、再びスイスのローザンヌの国際スポーツ仲裁裁判所で審議に着手する。
 この決定が、バルカンの安定を危険にさらす。

ローザンヌでのセルビアの成功が、とりわけ、アメリカ、イギリス、ドイツなどのコソボを国家承認し、人類で最も人気のあるスポーツを利用して、アイデンティティーを高める策略に弄する剛毅な援助者へ、彼らのバルカン政策に苦い敗北を与える。

 アハティサーリ案に反対し、国連の暫定統治を禁じ、双頭の黒鷲の旗のもとで、アルバニアと協同したい民族主義野党アルビン・クルティが統率する政党ヴェテヴェンドシェは、 コソボは国際舞台で独自のチームを組織しないで、アルバニアのために闘うべきだと声高に叫ぶ中、 何年もの間、コソボ代表を国際舞台で活躍させるという重要な政治的目標をもつ政府と欧米列強も対抗する。 この新たな憎悪と狂気が、再びこの地域を戦争の深淵に連れ戻す。

 今月、対照的なスタートを切ったワールドカップ予選が、再開する。

 コソボは、コソボ解放軍の残党が潜伏し、支配領土拡大を目指して、テロリストの温床となっているプレシェヴォ渓谷からの出身者を初めて抜擢する。伝説的なドラガン・ストイコヴィッチ・ピクシーが決して屈しなかった巨大な政治の圧力や汚職に耐えられず、混迷を極めるセルビアは、U-20 ワールドカップを制して世界一になったマクシモヴィッチ、ジヴコヴィッチ、ライコヴィッチ、ガチノヴィッチ、グルイッチ、ヴェリコヴィッチ、ミリンコヴィッチ=サヴィッチ兄弟などのニュージーランド人が徐々に支配し、 ミヤトヴィッチシュケル、ボバン、プロシネチキ、ブルノヴィッチ、ヤルニなどのチリ人の後を追う。

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多民族国家最後のPK

今年、オランダのハーグでの旧ユーゴスラヴィア国際戦犯法廷で禁錮40年の有罪判決を言い渡されたセルビア人勢力指導者ラドヴァン・カラジッチが、若き日にFKサラエヴォで心理学者として従事していたけれども、その時、後の悪辣な政治家と共に時間を過ごした当時のプラーヴィの主将ファルク・ハジベギッチは、 自惚れなしに、アルゼンチン戦のペナルティーキックを成功させていれば、戦争を遅らせる事ができたと回顧した。これは、戦争が政治家の決断によってなされた証拠、または、文化、宗教、経済危機の問題でなく、政治決断の問題であり、 今日、何が起こっているかを見渡すとき、この戦争から教訓を何も学んではいない、 歴史から何も学ばなければ、歴史は常に繰り返すと警戒することも忘れなかった。
 まだまだ狂信的な民族主義者の思惑が渦巻く多民族のズマイェヴィを先導する、サラエヴォ包囲戦の中で砲撃や狙撃兵に狙われる環境で育った、ボシュニャック人のエディン・ジェコが、代表で通算49得点目を記録し、ダヴォル・シュケル、スティエパン・ボベク、ミラン・ガリッチなどを抜き、欧州の歴代最多得点者上位10人に連なるまで、残り6得点に迫り、62得点のディアスポラであるズラタン・イブラヒモヴィッチを追い越し、上位5人の記録を見越す。 民族共存で闘うズマイェヴィは、カラジッチの政策を打ち負かし、もうひとつの大きい判決を言い渡す。

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