Jugoslovenska škola

私淑するものとして “Srbija do Tokija” 東京までセルビア "Od Vardara pa do Triglava" ヴァルダル川からトリグラウ山まで ユーゴスラヴィア プラーヴィ

コソヴォアルバニアサッカー新たな嚆矢/スカンデルベグ、ムハンマド・アリー・パシャ、イスマイル・チェマリ、ゾグー1世、エンヴェル・ホッジャ、ムスタファ・ケマル・アタテュルク、アリ・サミ・イェン、マザー・テレサ、ロロ・ボリチ、パナヨト・パノ、アデム・ヤシャリ、アギム・ラマダニ、ラムシュ・ハラディナイ、アジズ・サリフ、ノバク・ジョコビッチ、マイリンダ・ケルメンディ

民族と文化と言語が融和するサッカースタジアム、コソボにとって最大のモクス、ミトロヴィツァにある"アデム・ヤシャリ" ―コソボ解放軍の父、コソボ解放軍の創設者、伝説の司令官、アルバニア人にとってのコソボ独立のシンボルである魁偉なアデム・ヤシャリの名をとって命名する― が、コソボの政治的承認が停滞する一方で、遂に復興が進められ、矮小で新しい国家の外交道具であるサッカーを通じて、何十年もの孤立に終止符を打ち、国際社会に統合する道を切り開く。

 往時、第二次世界大戦、枢軸国によるユーゴスラビア侵攻、イタリアのベニート・ムッソリーニファシズム政権の帝国主義政策アルバニア侵攻の時代を代表するリザ・ルシュタ、ナイム・クリェイジウ、ロロ・ボリチ、独裁者エンヴェル・ホッジャ の特異な共産主義政権の鎖国体制によって隠されたパナヨト・パノ、ユーゴスラビア連邦民共和国とそれに属する共和国セルビア自治区に再統合した時代の、ローマオリンピックの金メダルと第1回目UEFA欧州選手権の銀メダルに貢献したハフルディン・ユスフィとミルティン・ショシキッチ、ウラジミール・ドゥルコビッチ、ジェバド・プレカジ、ファディル・ボクリ、ツルヴェナ・ズヴェズダの欧州チャンピオンズリーグの優勝に貢献したステヴァン・ストヤノヴィッチ、スロボダン・ミロシェヴィッチ独裁政権の混迷期の、アルバニア人で最初にW杯に参加した、クロアチア代表のフランスW杯3位のメンバー、ユーゴスラビア崩壊直後に非公式に発足したコソボ代表でも活動したアルディアン・コズニク、ストイコビッチ・ピクシー、ミヤトヴィッチ、サビチェヴィッチ、ミハイロヴィッチユーゴヴィッチ、ジュキッチ、ヨカノヴィッチ、スタンコヴィッチなどと激動の時代の難路を共に歩んだゴラン・ジョロヴィッチ、トルコ代表の歴代最多得点者、同国の英雄となったハカン・シュキュルなどから、今日のアルバニア共産主義の崩壊、市民戦争、コソボ紛争などの惨禍を被り運命を分けた、ロリック・ツァナ、ヴァロン・ベーラミジェルダン・シャチリ、タウラントとグラニトのジャカ兄弟、ヴァロン・ベリシャ、ミロト・ラシツァミロト・ラシカ、ベルサント・セリナ、アルベル・ゼネリ、ドニス・アヴディヤイ、ヘクラン・クリエジウ、ラビノット・カバシ、アルバレシュのアントニオ・カンドレーヴァとマテオ・ムサッキオ、エルセイド・ヒサイ、シュコドラン・ムスタフィ、エトリト・ベリシャ、トーマス・ストラコシャ、リザ・ドゥルミシ、フロラン・ハデルジョナイ、エドン・ジェグロヴァ、メリタン・シャバニなどへ、アルバニアショービニズムやイレデンティズムが、奸知に長ける政治家とともに、再び扇動する。

f:id:mancedragan:20180323062031g:plain