Jugoslovenska škola

私淑するものとして “Srbija do Tokija” 東京までセルビア "Od Vardara pa do Triglava" ヴァルダル川からトリグラウ山まで ユーゴスラヴィア プラーヴィ

ディエゴ・アルマンド・マラドーナ: ガリシア人とクロアチア人の人類史上最高の共同芸術 アルゼンチンとクロアチアの繁属 政治神学 神話 サッカーと政治  左翼 ペロン主義者 カストロチャビスモ 奸雄 ビベサ・クリオージャ 神の手(La mano de Dios) エル・ペルーサ D10S ビジャ・フィオリート エストレージャ・ロハ  ロドルフォ・クラリ セサール・ルイス・メノッティ カルロス・ビラルド トマス・カルロヴィッチ"エル・トリンチェ" ダルマ・サルバドーラ”ドーニャ・トタ”フランコ・カリオリッチ

将軍ホルヘ・ラファエル・ビデラが権柄を握り、そのビデラ軍事独裁政権下でアルゼンチンの自国開催のW杯での優勝の基柱を作ったユーゴスラビアクロアチア人ヴァラジュディン出身 、決してクリオーリョではないロドルフォ・クラリは、彼の門下、良き生徒で教えを仰ぐセサール・ルイス・メノッティに、 同じ種性で、14歳からよく知るディエゴ・アルマンドマラドーナフランコという名の鳳雛を代表チームに加える様に強く勧め、正しい時に新世界にプレゼントする準備を進めていた。

ロドルフォ・クラリ - アルゼンチンでは敬意を込めてドン・ロドルフ...そう呼ばれていた 。ビアモンテ通り1300番にあるアルゼンチンサッカー協会本部には、2つのアルゼンチン代表のW杯優勝チームの中に、その名前が一番最初に燦然と鏤刻されている 。HAŠKグラジャンスキーのドレスにも袖を通し、第二次大戦中にはウスタシャ運動のイデオロギー信奉者でクロアチア独立国の大臣だったミレ・ブダクが編集長を務める週刊誌フルヴァトスキ・ナロド のスポーツ編集者、クロアチア独立国(NDH)のアルゼンチン名誉領事も恪勤した過去を持ち、すべてのことを知悉して、一家言を持ち怜悧な面も持っていた。アルゼンチンのプロフェッショナルコーチ協会(ATFA) の創始者で、戦術や戦略を教諭するコーチングスクールの教授  国際コーチ連盟の幹事 ラテン・アメリカのコーチ連盟の初代会長 アルゼンチン代表のディレクター アルゼンチン自国のW杯と日本のワールドユースでの世界王者の礎石を築く  二人のW杯優勝監督セサール・ルイス・メノッティとカルロス・ビラルドの庇護者 メノッティシモvsビラルディシモ

ディエゴ・アルマンドマラドーナフランコ・カリオリッチ - マルコ・ポーロと同じクロアチアダルマチア地方のコルチュラ島の一系

コルチュラ島の出身のマテイ・カリオリッチは、彼の娘サルバドーラ・カリオリッチを授かり、孫娘のダルマ・サルバドーラ・フランコ・カリオリッチ、そしてのちに大きな歴史を書くことになる曾孫ディエゴをもうけ、科学捜査、現代犯罪学の父であり指紋識別の第一人者である人類学者ファン・ブセティッチのように アルゼンチン社会からビベサ・クリオージャを携行して世界の歴史の新生面を拓くこととなった (曾孫のディエゴもまた美しきダルマチアから由来する母親と同じ名をとり最初の娘にダルマと命名した)。

ガリシア人とクロアチア人の人類史上最高の共同芸術 稀有の種性 ボールの芸術家 歴史上最高の選手の1人 歴史の翹楚  アルゼンチン社会の一部 社会的起源は陬遠のビジャ・フィオリート  アザモール道523  二度と現れることとない稀世のプロフィール 天性のリーダー、永遠の主将 この天稟のメスティーソの歴史は遠く離れた地が出発点  アルゼンチン ブエノスアイレス ラヌース ビージャ・フィオリト ガリシア ルーゴ リバデオ バレイロス サン・ペドロ・アランテ クロアチア ダルマチア地方 コルチュラ島 リエカ バカール プラプトニャク プリモリェ-ゴルスキ 勁悍 雄渾 敵愾心 侠気 節介 強堅 強毅 梟雄 奸雄 ビベサ・クリオージャ 荊棘  ダルマ・サルバドーラ・フランコ・カリオリッチ"ドーニャ・トタ"の愛づ子 8人兄弟の長男 5人の姉妹(4人の姉アナ,リタ,マリア・ローザ,エルサ,...) 10番 鳳雛 エル・ペルーサ エル・セボジータ エル・ピベ D10S トマス・カルロビッチ 世界のスポーツの歴史上最も論争を起こし議論を呼んだ著名な得点"神の手" (La mano de Dios)とW杯の20世紀最高の得点  薬物嗜癖 コカイン エフェドリン アルコール ドーピング 違反長期出場停止 ウーマナイザー女誑 数人の非嫡出子 スキャンダル  すべての輝栄を灰燼に帰す 数々の栄光とスキャンダル、薬物嗜癖は神話の一部に 革命家  サッカーと政治 政治活動家 政治的イデオロギー 左翼 政治的急進主義者 改革主義者 ペロン主義者 ラテンアメリカ左翼 真のカストロチャビスモ  崇拝するチェ・ゲバラ 莫逆の友であるフィデル・カストロウゴ・チャベスニコラス・マドゥロ 同じ種性のネストル・キルチネルとクリスティーナ・キルチネルの熱烈な支持者  映画監督エミール・クストリッツァの "Maradona"  神聖視、欽慕、最愛、尊い、賞賛、またしかし批判、譏刺、非難、狂癲、狂悖、猜疑、疑義  劈頭となるクラブの名はなんと運命的にも父ディエゴ・マラドーナ"チトロ"と共に歩み合歓した赤い星エストレージャ・ロハ(レッドスター) 15歳11ヶ月10日でアルヘンティノス・ジュニアーズでアルゼンチンの歴代最年少デビュー 5度の得点王 メトロポリターノ選手権で17歳でのアルゼンチンのリーグ歴代最年少得点王 ビーショ・デ・ラ・パターナルに熱狂を運ぶ  アルヘンティノス・ジュニアーズで5年間通算166試合111得点  羨望で夢見ていたアルゼンチンを代表するクラブであるボカ・ジュニアーズでは通算40試合28得点  そしてセネイセスから旧大陸へ...  アルゼンチン代表にはラ・ボンボネーラでのマジャール代表との一戦で歴代最年少の16歳3カ月27日でアルゼンチン代表デビュー W杯は選手として4度、監督として1度  栄誉あるアルビセレステのドレスでは日本でのワールドユースと自身の名を不朽の名聞に刻んだメキシコでのW杯でアルゼンチンを無価の世界チャンピオンに アルゼンチン代表では通算91試合34得点 キャリア通算21年間で704試合360得点262アシスト  諸種の美しい快技は歴史の集団的イデオロギーに(ゴール、ワセリン、ドリブル、チレナ、パス、カーニョ、ソンブレロスラローム、ワンタッチ、FK等...)  キャリア最高のゴールはすべてを震懾させたフォークランド戦争の手段を変えた政治の再戦である メキシコW杯準々決勝イングランド戦の51分の神の手(La mano de Dios)の1得点目と55分の世紀最高の得点の2得点目  他にはスペインのエル・クラシコの歴史で最高ゴールの1つ、サンティアゴ・ベルナベウでのレアル・マドリーとのカップ戦決勝の得点や ベオグラードでのUEFAカップウィナーズカップとの決勝ラウンドでマラカナでのツルヴェナ・ズヴェズダ戦でのバセリーナが特に記憶されている

 いくつかの虚無主義者は、再び"神は死んだ"と継述する。この天稟の終焉により従者と中傷者の両者の間で、多義で当惑する事態が引き起こされることになった: 一方で日常生活の慣例から消滅したために、この天稟を今現代、つまり歴史の生存者、ある種の避けられない終わりの猶予として生きる人の時間を超えた場所に幽棲する。 制御できない終焉の猛威が、その現存をもう一つの時代の規定、より正確には現存の時間次元へと置き換える。逆説的ではあるが、以前とは対蹠にある影響もある: 全ての記録の深淵、つまり人類の歴史上で重要な人物への誘掖。この焦点として、この心象は、私たちにベールの陰で、決して明らかにすることが不可能な事後分析として提供される。つまり、私たちには単にメディアによってふるいにかけた人生の浮き沈みにつぎ込まれた彼の意志の産出や優れた辣腕以外何もない状態で取り残される。正確には、論説に反映される絶え間ない解釈や釈義の対象として提供されることがこの業績となる。しかしながら、知識階級やジャーナリズムが与える解釈の広大な範囲は、彼が十分に留意されていない側面もある。それは神学的言説の枠組みでの扱い。 ユダヤキリスト教の宗教的象徴からモチーフを利用する彼の論及は膨大でよく知られている。 ヌースと同義でもあるW杯史上最も議論を呼んだ得点として言及される神の手から彼の面魂、キャラクターや言葉を微細に掲出する巧妙なフラッグまで (マルティンフィエロの現代の復唱、ローマ神話ディオニューソスらがスタジアムを異教の謝肉祭に変える)。

 この天稟はオリュンポスから投げ入れられた神の黄金の像を具現化して今にも奈落に突っ込もうとする人々を救う。彼の心象は救い主として側に立ち、大衆の宗教性に動機を充て再び再考することにより神学的な意味合いを運ぶ天稟への陳謝を確認する人々を救解するものとして提供される。この意味するところは、彼の功績がそれ自体神学的命題として分類されることが可能であるということである - フィールドで披露した意味の範囲で、グスタボ・グティエレス・メリノの学派やラテン・アメリカの他の思想家によって提唱されるそれと非常に類似しているように。 ある種の"解放の神学"を実体化するメキシコW杯のやつれた緑の芝生の上での素晴らしい動き。

 もしラテン・アメリカで宗教言説が連綿に大衆的象徴性、社会的習慣、想像等に結び付くなら、彼の心象はこの類のニュアンスを得る。 このプロフィールが、宗教的モチーフや多角の神学的説話を利用する論証的な基址の枠に囲まれ、次に社会的経験や感情に再び構築し適応される。 その意味で、彼の人生の略歴は終末論、つまり究極の救済に向う大逵の歴史に変わり聖人伝に構成され掉尾を飾る。

f:id:mancedragan:20210301210947g:plain

f:id:mancedragan:20210301211046g:plain

f:id:mancedragan:20210301211112g:plain

f:id:mancedragan:20210301211205g:plain

f:id:mancedragan:20210301211253g:plain

f:id:mancedragan:20210301211321g:plain

f:id:mancedragan:20210303085828g:plain

f:id:mancedragan:20210301211348g:plain