Jugoslovenska škola

私淑するものとして “Srbija do Tokija” 東京までセルビア "Od Vardara pa do Triglava" ヴァルダル川からトリグラウ山まで ユーゴスラヴィア プラーヴィ

多民族国家最後のPK

今年、オランダのハーグでの旧ユーゴスラヴィア国際戦犯法廷で禁錮40年の有罪判決を言い渡されたセルビア人勢力指導者ラドヴァン・カラジッチが、若き日にFKサラエヴォで心理学者として従事していたけれども、その時、後の悪辣な政治家と共に時間を過ごした当時のプラーヴィの主将ファルク・ハジベギッチは、 自惚れなしに、アルゼンチン戦のペナルティーキックを成功させていれば、戦争を遅らせる事ができたと回顧した。これは、戦争が政治家の決断によってなされた証拠、または、文化、宗教、経済危機の問題でなく、政治決断の問題であり、 今日、何が起こっているかを見渡すとき、この戦争から教訓を何も学んではいない、 歴史から何も学ばなければ、歴史は常に繰り返すと警戒することも忘れなかった。
 まだまだ狂信的な民族主義者の思惑が渦巻く多民族のズマイェヴィを先導する、サラエヴォ包囲戦の中で砲撃や狙撃兵に狙われる環境で育った、ボシュニャック人のエディン・ジェコが、代表で通算49得点目を記録し、ダヴォル・シュケル、スティエパン・ボベク、ミラン・ガリッチなどを抜き、欧州の歴代最多得点者上位10人に連なるまで、残り6得点に迫り、62得点のディアスポラであるズラタン・イブラヒモヴィッチを追い越し、上位5人の記録を見越す。 民族共存で闘うズマイェヴィは、カラジッチの政策を打ち負かし、もうひとつの大きい判決を言い渡す。

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コソボ代表 /イブラヒム・ルゴヴァの所産

泥沼化した民族紛争から旧ユーゴ解体・消滅後も、動乱の時代を生き、忍従し、国際社会に認められてないコソヴォが、遂にUEFAFIFAの加盟国として認められ、大きな1歩を踏み出し、スタジアムに政治を持ち込む。
  コソヴォにとって、歴史的最初の国際試合の対戦相手であり、シェフキ・クチが先駆をなしたフィンランド代表で地位を築き、紛争で親族の多くを亡くしたペルパリム・ヘテマイは、特殊な状況に憂悶する中、祖国とは戦わないことを選択。ダルダナトは、他の6カ国の代表チームに選ばれている俊秀な24人のシプタルの帰還を待っている。 しかし、筋道の立たないFIFAは、その中でも祖国のドレスを纏って戦いたいサラエボ出身のヴラディミル・ペトコヴィッチが牽引するスイス代表のシャチリ、ジャカ、ベーラミ、タラシャイの4人のシプタルを認めない。 そこで、ユーゴスラヴィア人民軍の徴兵を逃れるため姓を変えた過去を持つブニャクと片腕のトルド・グリップは、16歳のラビノット・カバシなどを加え、明日のために尽くす。 独立への隘路を駆けるヴォクリとダルダニア人に成功と幸運を。

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